哺乳類になる
市の両親学級の3回目に参加してきた。
テーマは赤ちゃんとの過ごし方。
沐浴の実習をやってみて、3キロの物体に腰が悲鳴をあげた。同じグループの20代の子が軽々やっているのを見て、若いっていいなと心底思いました。
赤ちゃんの夜泣きについてのDVDもみた。延々と泣かれても自分を責めたり揺さぶったりしないでねというもの。泣かれると理由を探したくなるけれど、特に理由もなく泣くこともあるそうな。
自分が赤ちゃんだったころの記憶がある。一番古いのはおむつが湿って冷たくて気持ち悪くて泣いているところ。次に雨の中ベビーカーでお出かけしていて、レインカバーがなんだか気持ち悪くて憂鬱な気分になっているところ。
どちらも「不快」という感情とリンクしている。
赤ちゃんは話せないけど感じている。そして感じていることを周囲に伝えようとしている。
泣くのはその手段のひとつかなと思うけど、実際生んでみたら頭でそう理解していても(親の)感情が追い付かないこともたくさんあるんだろうな。
保健師さんの話の中で印象に残ったのは、母乳を出しやすくするために家の中ではできればノーブラでいてね。おっぱいが揺れるとそれがマッサージになって母乳が出やすくなるし、ほかの哺乳類はブラブラさせてるでしょ?という話。
えっ
そうか、私は哺乳類だったのか・・・といまさら衝撃を受けた。
物心ついたときから「ブラジャーはつけましょう」「バストメイク」「寄せてアゲる」「乳垂れダメゼッタイ」「ノーブラ=だらしない」という刷り込みがなされているので、
「おっぱいを出すためにノーブラでいましょうね」という言葉に脳みそがついていかない。
妊娠すると女は動物になることを求められる。なんせ自分の乳房から母乳を出すのだ。
動物だよなあ。ギャップがすごいぜ。
***
インドに単身赴任中の夫は、プレパパ用アプリとやらを使って現在の私と胎児の経過を確認してるそうだ。
その中にある「今週パパがすること」というコラム欄に違和感を覚えるといっていた。
「ママはいま大変な状態です。家に帰ってきたらなにかひとつでもお手伝いをしましょう」って書かれてるんだって。
いや、お手伝いって。
なにかひとつって。
ガキかよと。
インドにいて何もしてあげられない歯がゆさも手伝って呆れたらしいです。以上。